フランスの田舎から日本の農業支援にやってきましたが・・・大丈夫でしょうか?
フランスの南にあるピレネー山脈のふもとの街からはるばるフランスの若者が、日本の農業に従事するためにやってきました。
生まれ育った家はやぎや羊を飼って観光畜産業をやっていたそうで、小さい時から家業の手伝いもしていました。
彼は地元の農業高校を卒業して、日本に来る前に3ケ月間の日本語教育カリキュラムを受けています。
初歩的な日本語が話せて、コミュニケーションはそんなに気にしてなさそうです。元気いっぱいの彼なのですが、何か気になることがあるようです。
それはなんでしょうか。大丈夫でしょうか。
日本の Needs と Seeds
日本では今後の労働人口を考えた場合、人手不足の主な業種は、一次産業(農業、漁業、林業)、建築作業現場、高齢者を支える介護、日本古来の伝統産業での労働者やワーカーや職人です。
彼の場合、農業高校を卒業しているので、ニーズの一次産業の農業にマッチしています。それに、家業が畜産業であったのは、少なくとも加点されるはずです。
でもこれだけで日本でやっていけるでしょうか?
単純労働であれ、考える労働であれ、
「一人前になるには」
「一人前のお金をもらうには」
「一人前に信頼(信用)されるには」
いくつかのバリア(障壁)があります。
これらのバリアを時間がかかってもよいから乗り越える能力ややる気が求められます。
小さな放牧業
一口に農業といってもいろいろなタイプがあります。そのなかでも、この島国(日本)での畜産業は独特の状況下にあります。
今回、彼が関わったこの日本の地方の畜産業とは、「20頭の牛」の放牧で、小規模です。
老夫婦がもう30年以上に渡って築き上げた独特の飼育システムです。後継者を探していましたが、見つかりません。
それで、やむなく外国人の力を借りることになったようです。
簡単そうに見えて実は難しい面もあるのです。
しかし、難しそうに見えて簡単そうでもあるのです。
彼の1日の作業は次の様なものです。
朝4時ころ起床して、牛の朝食の準備をします。
それから、1キロ先の放牧地まで集団移動します。これが大変なのです。
牛舎の牛糞や汚れたわらの撤去と掃除、それから新しいわらの敷き詰めなどをします。
その間に時々放牧地まで牛の様子を自転車で見に行きます。
毎日天気の良い日は、数頭ずつブラッシングします。
牛の夕食の準備をします。
夕方になったら、放牧地へいって20頭の牛を牛舎に戻します。
20頭の牛の体調を一頭ずつチェックします。
しかし、天候が急変したり、雨が降る日が数日続く場合や体調不良の牛がいる場合はもう大変です。月に数回はあります。
Barrier 1; 環境順応性
日本には春夏秋冬の四季があり、人の生活の面でもあるいは牛の放牧の面でもいろいろな変化と対応があり、これらを実地に体得しなければならないのです。要は一度は経験して見ないと判らないことが多いのです。
夏の外は40℃を超えて暑いこともあれば、冬は0℃以下になり寒いこともあります。
油断すると熱中症になったり、手足が悴んで動かなくなることもあります。
日本人であれば簡単に思えることでも、外国人には非常に過酷に感じられる局面もあるようです。
例えば、天気予報によれば今日は「晴れ時々曇り」のはずなのに、昼食後急に雨が降ってきて牛を迎えにいくかどうか迷うことがあります。通り雨のようにすぐに止むこともあります。
放牧地から牛を連れ戻すのに約1時間はかかりますから、すぐにいくべきかどうかです。
場合によっては、牛にかぶせる合羽も持っていく必要もあります。牛も人間と同じように雨に長い間あたると風邪をひきます。
風邪を引いたら、それはもう大変なことになります。
だから少なくとも1年は経過しないと、この職業(放牧)が自分に向いているかどうかは判断できないはずです。
よくあるのですが、3ケ月ほどでこれは自分に向いていないと早合点して、転職や逃げたりするケースが散見されるからです。
そういう人はどこにいっても務まりません。
1年、できれば数年は冷静にこの職が適正かどうか考える必要があります。
Barrier 2; パワー(バイタリテイー)があること
ここでいうパワーとは、体力も指しますが、それよりも忍耐力や精神力です。
新しい新天地で新しい職業について働く訳です。最初は言葉も通じないでしょう。判らないことが多いでしょう。
完全なマニュアルもなく戸惑うことがあるかも知れません。作業にもなれない事でしょう。
しかし、少なくとも1年間はその職場で頑張る信念と忍耐が必要ではないでしょうか。
その間仕事をしながら、漢字の読み書きをすることです。仕事上でのコミュニケーションができるようになると、きっとあなたにとって良いことが待ち受けているはずです。
日本人はじっとあなた方の挙動を見守っています。契約をしたからといって、翌日からすぐ一人前には働けないのです。
幸いにして、フランスからきた彼は、動物の臭い、糞の取り扱いや衣服への付着などへの抵抗はなかったようです。
こういう事象でも少しでも経験があれば、問題はないのですが、人によってはもう3日目に逃走してということもあります。
なぜ逃走したのか、その理由を聞くととても簡単なことです。
Barrier 3; 手先は器用である方がよい。改善、知恵、工夫の提案ができますか?
このバリアが一番重要です。
このバリアを超えることができると、一つ上の仕事やビジネスができるようになり、信頼の面でもマネーの面でもあなたにとって有利になります。
さて、このバリア3とはなんでしょうか。それは「考える能力」のことです。
その能力をどうやって具現化できるかです。
ここで、1年後に彼が考えた3つのアイデアとその実行内容を紹介しましょう。
先ず経営者を説得するのですが、フランス語でも英語でもなくなんと日本語で簡単な企画書をつくり、漢字を用いた高度なコミュニケーションに成功するとは夢にも思いませんでした。
それほど高度なコミュニケーションは重要で、そうでないと高度な事業ベースの仕事ができないのです。
Idea 1; 放牧地での牛の監視
それまでは1日に数回、自転車で片道10分ほどかけて見に行っていました。
360度視野の監視カメラを1つ付けただけで、何か異常がない限り見に行くことが無くなりました。
Idea 2; 休耕田の活用
放牧地へ牛を連れて行くのに、それまではコの字型の道路を通っていましたので、1時間近くかかっていました。
一部農道でなく一般道路もありましたので、危険でもありました。
途中に今では稲作に使用していない「休耕田」が何か所かあり、ここを通ると約30分で目的とする放牧地へ行けることが判ったのです。
この休耕田は荒地で何の活用もされていないものでした。
牛が食べる草を増やして、放牧地目的でも新しい応用ができるようになりました。
喜んだのは、休耕田の持ち主です。これが縁で、地域とのコミュニケーションの場もできあがりました。
とても良いことです。
Idea 3; 牛以外の動物の飼育
牛は成牛だと5~6年のサイクルがかかります。その間経費が嵩むだけで、収入がありません。
豚だと数年のサイクルで済みます。
牛舎の横に豚舎を作り、豚10頭を飼い始めました。餌は近くのレストランなどから廃棄する食材を分けてもらいました。
ほとんどが豚用ですが、一部仕訳して、牛にも食べさせることができるようになりました。
レストランでは、豚メニューが増え多くの人が利用するようになりました。
Barrier 4; 高度なコミュニケーションが要求されることもある
普段の生活では簡単な初歩的な日本語が話せたり、あるいは聞き取れたりするだけで充分です。
しかし、この単純な放牧といえども少し突っ込んだ話し合いや提案などをしようとしたら、日本の小学生が習う漢字の読み書きぐらいは自由自在にできないと難しいことが多いのです。
彼の日本語力をチェックしたところ、簡単な会話や小学校1年程度の漢字は読めますが、書けるのは「ひらがな」がやっとであることが判明しました。
すなわち、日本語レベル2なのです。これでは普段の生活ではなんとかなりますが、放牧業といえどもビジネスライクになると、レベル4以上は必要ですので、難しいのです。
「日本語レベル4」。すなわち、小学校6年間で習う約1000種類の漢字の読み書きは必須です。
これは数年間で習得したいです。
それで、当外国人支援室は、「漢字入門教室」と「漢字習得教室」で小学レベルの漢字をマスター後、放牧赴任地へ行くように勧めました。
彼は3ケ月かけて漢字習得にチャレンジして旅立っていきました。
おわりに
放牧の赴任地に送り出して3年以上たったある日、彼から電話がかかってきました。
流暢な日本語にびっくりするとともに、一度見に来て欲しいとの話でした。
現地に着くともうびっくりの連続です。
牛50頭、豚100頭、放牧地も3倍に拡張し、休耕田も10ケ所設置していました。
地域の青年団でも活動していて、彼女も紹介してくれました。
めでたし、めでたしですね。
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