新天地日本に職を求めてやってきました
- English → I came to New World Japan for a job (Part 3)
- Indonesian → saya datang ke New World Jepang untuk pekerjaan (Bagian 3)
外国人は何を目的に日本に定住して、どんな職につくのでしょうか。
今回は何も考えずに、なんとかなるだろうとやってきたインドネシア人の事例を紹介します。
彼女は縁あって、父親が中国人、母親が日本人の間に生まれ、インドネシアの小さな島に生まれ育ち、島の中学校を卒業しました。本島に行って職を探すのですがなかなか見つかりません。日本に行けば働く場所があるだろうと、日本にやってきました。
彼女にはスキルらしいものはありません。
あるものと言えば、母国語のインドネシア語と片言の日本語と中国語だけです。英語はわかりません。外国人といえば、すぐに英語ペラペとラ思いがちでしょうが、そうではありません。ぎらぎらした元気さと健康は見ればすぐわかります。
これでも本当に大丈夫でしょうか。まったく問題ありません。大丈夫です。
日本には人手が足りずに、本当に困っている業種や場所がたくさんあります。
日本では今こんな人材を求めています。歓迎します。
それは第一次産業分野である農業、漁業、林業の担い手です。もとはどれもこの日本を支えてきた産業であり、基板なのです。しかし、時代の趨勢と共に、今や下り坂の一途を辿っています。どの分野もほとんど機械化されているのですが、どうしても残っている手作業に人の手が必要なのです。どこの地域でも働き手がおらず、もう老人だけでは対応できない状況にあります。若い人がいないのです。
農業;機械化できない手作業、例えば雑草取りや手作業による耕し、野菜や果物の搬送
漁業;魚の仕分けと捌き加工、店への魚の搬送、生簀の餌やりと監視、レストランの準備
林業;森林保全作業、例えば下草刈りや芝刈り。キャンプファイアへの材料の搬送と準備作業
元気いっぱいの彼女に3つのアドバイスをしました
一つは、時間がかかってもいいから日本語を勉強しなさい
ひらがな、カタカナの読み書きはもちろんのこと、小学生が習う「漢字」は、読めて書けて話せるようになりなさいとアドバイスしたのです。新しい新天地へ行く彼女へのせめてものお土産に、中古でしたが小学生用の日本語辞書を手渡しました。
二つ目は、慌てない、あきらめない、焦らないこと
これから行く新天地ではいろんなことがあるだろうと思います。何もかもが違うのですから当たり前です。壁に当たったら、あれと思ったら、とにかく考えることです。そして、またなぜと考えるのです。さらにどうしてと考えるのです。人間は考える葦なのです。なぜ葦なのかは私にも判りませんが。
三つ目はこちらから話しかけること
日本人からは話しかけられないと思う。片言の4日本語でいいから話してみることです。きっとわかってくれますよ。
農業に興味を持っていたので、その方面でニーズの高い地域を推薦しました。
彼女は山陰のある田舎町に元気いっぱい行きました。
これから先は彼女からの手紙や電話や人づてによる内容を編集したものです。彼女言葉で記載します。
1st ここはどこ?
日本の田舎町ですが、生まれ故郷の風景によく似ているのでびっくりしました。
住居もいろいろあり、選べと言われても困ってしまいます。とりあえず、人が住めるようにリホームしなければならないのです。リホーム費用は地域が立て替えてくれて、半分は負担してくれて3年後までに支払ってくださいというものでした。
2nd 何するの?農作業ですか?これってインドネシアの小島でやっていたことです
最初はジャガイモの仕分けでした。大中小の三段階に分類するのですが、格外があって腐っていたり虫食いがあったり、色が違うものなどは区別されます。レーンの速度が速いので、最初は戸惑いましたが、今は順調に作業できます。
朝9時から夕方5時までが勤務時間です。収入もそれなりにあり、野菜や果物などは近所の人が持ってきてくれます。それで、土日祝日は休みなので、何か近所の人にお返ししなくてはと思い、その敷地の「雑草取り」を申し出ました。OKなのはいいのですが、初めての日本の鍬や鎌の使い方には大変でした。全部、貸してもらえるのですが、なにしろ使い方が判らなくて困りました。雑草取りぐらいと思っていたのですが、結構感謝されて、今では10件ほどやっています。
食べ物に困らないのは、安定して安全で良いことですよ。
3rd 鶏と豚を飼い始めました
毎日結構暇なのです、それと家の周りをみると、「休耕田」といって、耕作地が荒れ放題になっています。何か活用できないなと考えていたところ、近所の人から自由に使っていいよとの話があり、早速鶏の雛10羽と子豚5頭を家の横で飼い始めました。
「休耕田」はエサの確保ができるし、一時的な放し飼いの場所にもしています。卵は近所の人にあげています。
4th 婦人会へのお誘い
地域の婦人会へ入らないかと勧誘があり、喜んで入会致しました。片言の日本語とインドネシア語のコミュニケーションですが、料理をつくり、楽しく過ごしています。
みなさん、この地区のおばあさんばかりですが、親切で気立てがやさしいです。漢字の日本語教室もやってくれるので、大変感謝しています。
周辺の外国人5人も参加しています。
おわりに
このようにして、彼女は日本の社会に溶け込んでいけそうです。
彼氏もできたと喜んでいました。まだまだ、運転免許もとって、自動車を買うと張り切っていました。これからですね。
日本には地域で働く人材がまだまだ必要です。そういうところでは大事にしてくれます。
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