「外国人支援室」にいたるまで

Fnaviに記事を寄せていただいている 山田あすきさん のお仕事について伺いました。

山田さんは、ある中堅都市の市役所にある「外国人支援室」の外部審議委員。

地域に住んでいる外国人から寄せられる、商売、日本語、日本の文化、困りごと、育児、イベント、病気、食事、食べ物、就職、習慣、日本人のちょとして癖など、日々の生活の中で外国人が判らないことの相談を受けられています。

山田さんが、現職に至るまでのいきさつです。

はじめに

現在、とある中堅都市にある市役所の「外国人支援室」の外部審議委員を拝命している。

委員になってからもう6年経過している。審議委員は普通1期(2年)が基本であるが、必要に応じて2期務めることがある。

私は既に3期務めて4期目に入っている。今の状況からすると後4年は努めることになるのだろう。

審議委員は全員、市役所の職員ではない外部の人間が任命されている。ちゃんとした「任命状」と「委嘱状」が発行される。

市会議員の次なので、市役所にいくと職員全員から頭を下げられる。

つまり、偉いのである。

当市は局部室課制の組織で、人権擁護部に「外国人支援室」が属しており、審議委員は5人で、私は常務審議委員を務めている。人権擁護部の紙による指令(指示)の業務は2時間で1万円の報酬がある。しかし、これは月に1回開催される審議委員会の場合のみである。当初は週に1回半日程度だったが、今ではもうほぼ毎日の支援勤務である。しかも、夜間や休日の日も多い。これらの業務に対する報酬はなんと2時間で500円なのである。市からの通達ではっきりと明示されている。ほぼボランテイアに近い。

とにかく猛烈に忙しいのが特徴的である。外国人は海外100ケ国以上から来ているが、その90%がアジアである。特に、韓国、中国、ベトナム人が多い。日本語、英語以外の「言語」がいつもけたたましく飛び交っている。なかでも女性は気が荒く、オクトーバーが高くなり、しかも早口である。まさしく戦場と言っても過言ではないだろう。

相談の内容や案件は普通の日本人には想像できない出来事が多く、そのような経験の少ない市役所の職員だけでは対応できないのである。

片言の英語程度ではまったく使い物にならない。

英語といえども教科書にあるような「標準語」ではない。非常に癖のある訛りの強い方言調なのである。しかも、都合が悪くなると途端に英語から「母国語」に切り替わってしまう。

本来、審議委員は、職員の活動の結果に対する適切性・有効性・妥当性・持続性などを審議するものであるが、「多言語対応能力」が必要で止む無く指導的役割を演じている。市役所が出すマネーでは、かかる能力を持った人材が残念ながら集まってこないのが実情である。

そんな中で昨年、英米文学科出身の新卒の女性が一人入ってきた。いろいろと教えるのだが、呑み込みが早い。これは使える。というわけで、英語圏は彼女が担当することになった。私は英語圏以外を担当している。

外国との縁

郡・村・大字がつく田舎(ざいご)に生まれ育った。家が貧しかったので、中古の自転車で岾を越える片道1時間の国立外国語大学へ入学した。往復2時間の自転車漕ぎはとても運動になった。しかし、冬は厳しい。ぼろい長くつに荒縄を二重に撒き付け(底がすり減ってつるつるなので雪道は歩けない、滑り止め防止の先人の知恵)、弁当箱に焼いた餅を一ついれて、油紙を持って朝5時に家を出た。大学には9時前に着いた。餅や油紙は雪の中で立ち往生した時のサバイバルに使用する(途中で吹雪に会い動けないことが何度かあった、行き倒れ防止)。

とにかく猛勉強して、50人中首席で「フランス語学科」を卒業し、続けて大学院(マスター)を出た。テキストはすべて言語で日本語のはなかった。これが今後の活動に大きく影響することになった。

最初、国家公務員になり、本局の「外国人相談課」に配属になった。業務に納得できず数年で退職。米国に渡りアメリカのハーバード大学の「語学研修センター」で6ケ月間英語の言語研修を受けた(修了成績A-B)。これは私にとって本当に有効な時期であった。次の有益な3つのことを学んだのである。

1.B5版の厚さ20センチメータ以上の「テキスト」は今後の人生の座右の銘になった。

2.ビジネスコミュニケーションの前の「挨拶の英会話」が、ありがとう、ハイ、すみません、もう一度言ってください、昨日の出来事の話、5W1H(What, Why, Who, When, Where, How)の入門レベルができるかどうかがポイントであることを教えてもらった。

3.留学といっても、「遊学」というなにも勉強しない人種がいること(これにはびっくり)した)。

帰国後、中堅の商事会社に入社した。かっこいい言葉で表現すれば、「商社マン」なのである。英語、フランス語、ドイツ語などを操り、アメリカ、ロンドン、パリなどに駐在員や管理者としてそれぞれ数年ずつ過ごした。50ケ国以上を股にかけて回り、何不自由ない生活であった。しかし、ある時新規事業を考案したものは評価されず、それを実行したものだけが成果として評価されるという事件が起こった。これは、評価に対するイデオロギーが異なるのである。即、退職してしまった(今となっては少し我慢したらよかったと思う)。

外国人支援に向けての助走フェーズ

それは4畳半の自宅の3階の部屋から始まった(1stステップ)

「大人も子供も学べる英会話教室」はボランテイアなのですぐに大繁盛した。英会話+αが人気を呼んだ。アルファとはいままでの人生経験である。ところが、生徒が話中に階段を滑り落ちるというトラブルを契機に次のステップに移った。

1コイン100円の英会話教室(2ndステップ)

「大人と子供の1コイン100円英会話教室」も大繁盛した。ここでもアルファという考え方は効力を発揮した。部屋を借りなければならなくなったので、費用が発生したため1コインとなった。採算はトントンであった。しかし希望者が多く、拡大の方向に向いていった。特に、数名の外国人から「日本語」を教えて欲しいという強い要望が出てきた。

1コイン500円の英会話教室(3rdステップ)

「大人と子供の1コイン500円日本語と英会話教室」もいろいろあったが、結果的に大繁盛した。ここで目的に応じて幾つかに分岐した。

「大人の1コイン500円英会話教室」

「子供の1コイン500円英会話教室」

「大人の1コイン500円日本語教室」

「子供の1コイン500円日本語教室」

どれも2時間で500円なのであるが、間取りがもっと広い複数の部屋が必要になった。そうなるとお金が足りないのである。

そこで、市役所に相談に行った際に、「外国人支援室」の存在を知った訳である。日本語教室は外国人OKであること、4つの教室ともいじめにあった不登校児などを受け入れることなどが条件で、市から経費の30%補助が決定した。英会話教室の教材はハーバード大学でのテキストを土台にし、商社マンとしての経験(+アルファ)が説得に非常に有効となった。と同時に、ここから『外国人支援室』との二人三脚がスタートしたのである。

この4つの教室の立ち上げには様々な問題が生じたが、教育委員会などの関係者の協力により解決できたことはうれしい次第である。規模が大きくなるといろいろなこと(元教師を雇うとなると、希望者が殺到するなど)が起きるということを実感した次第である。

おわりに

現在4つの教室は、全部元教員の人たちに任せ、私は「外国人支援室」に専念している。当市の外国人は海外100ケ国以上から来ており、その90%がアジアであるが、激増しているのが実情である。

時々、朝6時ころ守衛さんから電話がある「外人が20人ほどきてますよ」。

トラブルも軽度~重度が発生しており、今後ますます難しい対応や局面があるだろうと予想される。

対応できる人材をなんとか確保しなきゃ!!

 

関連記事:
宗教・信念別 食事に対する配慮ポイント
外国人雇用管理アドバイザーというお仕事
ノルウェーから働くために「魚捌き職人」がやってきました・・・
北欧のスウェーデンから介護技術者として日本にやってきたのですが・・・
”私はデザイナー” 漆器のデザインをやりたいです

 

 

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。