オランダから技術者の彼を追ってきました
外国で知り合ったのが縁で来日される外国人も結構おられます。
日本からオランダの関連会社Yに技術指導に来ていた彼が、5年の任期を終えて日本に帰国しました。
今回は、オランダ人の彼女が日本人の彼の後を追って、遥々オランダから日本にやってきた事例を紹介します。
経緯
オランダの関連会社Yは、日本に本社がある大手ゼネコンX社です。
彼女はドイツに生まれ育ち、高校卒業後公立の秘書専門学校を卒業しました。
その後オランダの関連会社Yに就職。
そんな訳で彼女はドイツ語、英語、オランダ語を流暢に話すことができました。
一方、日本の親会社から派遣された彼は、英語は苦手であったが、ドイツに留学したこともありドイツ語は話せたので、ドイツ語を媒介できる彼女がサポート役に就いたそうです。彼女はオランダ語と英語の通訳と書類作成の業務のほかに、高速道路工法の現地立ち合いにいつも彼に付き添っていました。
彼が5年の任期を終えて日本に帰国した翌年に、彼女はオランダの関連会社Yを退社して、日本にやってきました。
どんな仕事がしたいですか? 工場の現場で働けますか?
びっくりしたのは、彼本人だけでなく、大手ゼネコンX社です。
ここは日本なので彼女が日本語が話せて、読み書き(手書きでなくてもワープロ書きでOK)ができるなら、ドイツ語、英語、オランダ語を流暢に話すのだから、大手ゼネコンX社のグループ会社で働く場所はいろいろとあります。しかし、日本語ができないので、残念ながら適切な職場が見当たりませんでした。
このようなケースが今までなかったことも本事案には深く影響しています。
そこで、やむなく彼女は大手ゼネコンX社のグループ会社と取引があるロッド製造Z社の工場に就職が内定しました。
彼女がもっと若ければ話が違ったものと思われるのですが、40歳に近い年齢になると経歴を生かせるような職業や職場は難しく、しかも日本語がわからないとなればなおさらでした。
当外国人支援室の対応
彼女になにか不安な面があったのでしょうか?
彼女はふらりとこの支援室を訪れました。就職先で面談の直前でした。
私は早速彼女の日本語のレベルテストを行いました。
その結果は恐れていた通り、レベル0。これでは、工場の職場でコミュニケーションができません。
極論すると日本で生活できないです。こういう外国人がトラブルに巻き込まれる事例を数多く見てきました。
それで、支援室は大手ゼネコンX社とロッド製造Z社に連絡をとり、面談を1週間延期してもらうことにしました。
この1週間で日本語の入門と勉強の仕方を教えました。
「ひらがな教室」、「漢字入門教室」、「漢字習得教室」、「中等レベル漢字教室」で使用するテキストの概要説明をして、無償で手渡し、最低「漢字入門教室」のレベルはマスターするように厳しく指示しました。
地域とのコミュニケーションの重要性も説得しました。
工場のある地形
彼女が就職する工場は、日本海に面した地方の田舎町で、夏は40℃近くになり暑く、冬は雪が2メートル近くまで積もるところです。
場所は山の中腹にあり、宿舎は寮が準備されていました。ただ、個室だが調理場や洗面場、風呂はなく、すべて集団で1ケ所ある程度。しかも、ここで「3交代作業」をするということです。
本当に彼女は大丈夫でしょうか。
ロッド製造Z社の工場現場とは、「有害物質」を取り扱うのです。
このロッドは、有機強力繊維を接着剤で固めた直径20センチぐらいの形状をしていて、長さが数100メートルにも及びます。用途は重量物や橋げたの懸垂吊り下げ、船舶の牽引ロープなどに使用されています。
この工場では、ロッド製造ラインを3基持っていました。
それは長さ100メートルほどの槽で、有機強力繊維を接着剤でディップーニップを10回繰り返して、大きなロッドを製造しています。ロッドの速度は3m/分とゆっくりしていますが、接着剤の粘度が高く、そのため繊維への浸透が難しいです。
彼女の仕事は液と空気の置換で発生する「気泡」を見つけて、棒で叩いては破壊すること。この気泡が繊維間隙やロッドに付着していると、その箇所が弱くなり局部的に切断されるので、ロッドの品質上重要な要素なのです。
作業マニュアルや作業標準書について
日本語のがありますが、最初は全く判りませんでした。
2年目になると、昼間の勤務だけになったので、英語と日本語の対訳式に作業マニュアルや作業標準書を改善しました。さらに、彼女が関わった作業以外の工程や別の工場の作業マニュアルなどを最新版にしていきました。
このことが非常に会社から感謝されました。
有害物質である接着剤の取り扱い
こういう接着剤は、エポキシ基を大量に含んだ有害物質であり、日本の法律でも規制されています。
ヘルメットとガスマスクが一体になった「宇宙服」のような作業スタイルで、手袋をはめての作業は動きが悪く大変なのです。
接着剤の飛散も問題であるが、接着剤が衣服のあっちこっちに付着し、しかもこの剤は揮発性が高いのでガス(気体)に注意しなければなりません。
夜間も働くという困難さ
他の工場では東南アジアからきた外国人を見かけましたが、この工場では外国人どころか、日本の女性の姿はありません。
この工場で夜も働く女性としては、彼女が第一号と言えるでしょう。
ドイツやオランダでは、男女同権が徹底していて、男の職場でも女性が数多く働いています。
彼女は、夜も働く「三交代業務」に違和感を感じなかったようです。ただ、夜働く場合、昼間寝なければならないので、夏は大変だったと語っていました。
それよりも、”マネー” が不思議と???
マネーの件
始めの1年は夜も働くのでマネーも高いと思っていたようですが、オランダ時代の半分だったそうです。
これは見習い扱いだったからで、二年目の昼間勤務になると、本採用になりオランダとほぼ同じレベルのマネーになったと。
三年目からは、事務所での外国からの電話応対、資料の英訳やチェック、来客応対などの業務になり、マネーはオランダ時代の2倍になりました。とても不思議に感じたそうです。
おわりに
このようにして、彼女は3年かけて自分の居場所を確立したのです。大したものです!
オランダもドイツも過去戦場のるつぼにあって、男も女も武器を持って戦い、サバイバルしてきたスピリットを学校で教えているといいます。
まさに、彼女の逞しい姿に真の男女同権を見たように感じました!
すごいパワーを目にしました。
ところで、彼との仲は続いているのでしょうか???・・・彼は妻子持ちでしたが・・・。
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